2019年07月21日

ヨナ書

ヨナ書

「普遍愛に照らされた選民の我執の自己暴露」 

預言者ヨナの書という体裁をとりながら、ヨナ書の意図は、本来の使命から逃亡するヨナ姿において象徴される「使命感喪失者としての選民の我執の自己暴露」にあるといえます。

ヨナはまた鳩を意味し、イスラエルがおろかな鳩(ホセア書7:11、11:11)にたとえられていることからも、ヨナ書の意図をそうみることに無理はありません。

@逃亡者ヨナに示された恩恵(ヨナ書1-12章)

極悪の巣のような異邦の町ニネベに赴いて悔い改めを迫る命を受けながら、ヨナは神の召しからの逃亡を企てました。

逃亡中、船は暴風雨におそわれ、水夫たちの必死の奮闘のさ中にも、
「船の奥に下り、伏して熟睡しているヨナ」(ヨナ書1:4以下)
の姿の描写に、すでに選民としては大ていのことが大目に見られているし、守られている、という特権意識が指摘されています。

その特権民族的ともいうべき意識のふてぶてしさは、神の怒りの原因であるヨナの合意にも拘らず、ヨナを犠牲にすることを極力避けようとした、異邦の水夫たちの戦々兢々とした配慮ときわめて対照的です(ヨナ書1:11以下)。

そして、主は恵みふかくも、逃亡者ヨナに、
「大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた」
結果、彼は三日三夜の後、陸に吐き出されたのです。

A悔い改めたニネベに示された恩恵(ヨナ書3章)

ヨナの警告によって異邦の町ニネベは、上は王を初めとして、町全体が悔い改め、「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、ーー災を思いかえして、これをおやめになった」。

Bヨナの怒りにおける我執の自己暴露(ヨナ書4章)

異邦ニネベの悔い改めをよろこぶはずのヨナが、意外にも神の前にすね始めました。

「ところがヨナはこれ(ニネベの悔い改め)を非常に不快として、激しく怒り」、
彼にとってはもはや、
「生きるよりも死ぬ方がましだ」
と、はなはだしく非理性的な、自暴自棄な姿をさらし始めます。

とうごまの日陰を、「非常に喜んだヨナ」、
そして、それが枯れたとたんに、
「生きるよりも死ぬ方がましだ」
と、前同様、おなじすね方を神の前にくり返すヨナ。

自己愛ゆえの感情的起伏のはげしさ、そして特権意識に基づく被害者意識の強さ、甘えに基づくすねの醜悪さが、ヨナにおいて余すところなく露呈されています。

しかも、ヨナ書は、その終わりに、
「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
ましてわたし(主)は十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」
という、異邦への顧みとあわれみに満ちた創造主の配慮をしるしています。

つまり、この言葉は、選民に集中する特殊愛を超えた「普遍愛」です。

この普遍愛の光に照らされる時、自分の受けた恵みが、他民族に示されることを喜べず、自己の面目のためにふてくされるヨナの姿は、漫画的にクローズ・アップされてきます。

そこには、特権意識にこりかたまったイスラエルの選民の我執が指摘されているのです。

それと共にこの結尾の普遍愛からの「問いかけ」によって、主の思いに最も近くあるべき預言者、ひいては選民の思いがいかに神の思いから遠いかーーその悲劇的な隔絶性が、ヨナ書の構成から効果的に、劇的に写し出されています。

これがやがては、先に召された信仰者すべてへの問いかけに他ならないでしょう。


posted by 道川勇雄 at 15:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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