2019年07月21日

ミカ書

ミカ書

「公義を求める神から、公義を憎む選民指導階級への告訴」

先立つアモス書の「特典は責任を意味する」を受けて、ミカ書は「特典はへりくだりを意味する」を力説します。

「へりくだり」は、「のろうべき不正な桝」への鋭敏な嫌悪感を要請し、同時に対人関係、とりわけ肉親の間柄での、醒めた危機意識を要請しています。

「あなたがたは隣り人を信じてはならない。
友人をたのんではならない。
あなたのふところに寝る者にも、あなたの口の戸を守れ、ーー人の敵はその家の者である」(ミカ書7:4以下)
とまで言い切ります。

こうして「へりくだり」が、「水平関係」の、妥協的、情緒的なものとは質を異にする、峻厳な「垂直志向」のものであるかを強調しています。

@公義を憎みつつなお特典に安住する指導者への告訴(ミカ書1-4章)

アモスは選民性の喪失の極限状況を、「主の言を聞くことのききん」として指摘しましたが、ミカは、それを「主の求める公義を憎む」在り方として告発しています。

その公義を憎む者の代表者とは、公義について (主の要求について)、最も鋭敏であるべき宗教指導者たちだという。

「ヤコブのかしらたちよ、イスラエルの家のつかさたちよ、聞け、公義はあなたがたの知っておるべきことではないか」

「ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家のつかさたちよ、すなわち公義を憎み、すべての正しい事を曲げる者よ、これを聞け。
あなたがたは血をもってシオンを建て、不義をもってエルサレムを建てた。
そのかしらたちは、まいないをとってさばき、その祭司たちは価をとって教え、その預言者たちは金をとって占う。
しかもなお彼らは、主に寄り頼んで、
『主はわれわれの中におられるではないか、だから災はわれわれに臨むことがない』
と言う」(ミカ書3:1、9以下)。

「すべての民はおのおのその神の名によって歩む。
しかしわれわれはわれわれの神、主の名によって、とこしえに歩む」(ミカ書4:5)。

A公義回復者の到来を予告しつつなお選民の不義を告発しつづける主(ミカ書5-7章)

「公義を求める主」と、「公義を憎む民」とは無縁です。

そこには敵対関係しかないはずですが、その幻想に気づかないほど鈍感な指導者たちにはもはや何も期待できません。

主は、「公義を行う王」をすでに心に定められた。

「しかしベツレヘム エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたし(主)のために出る」(ミカ書5:2)。
(イエスは、ベツレヘムの家畜小屋でのうまれ)

「もろもろの山よ、地の変ることなき基よ、主の言い争いを聞け。
主はその民と言い争い、イスラエルと論争されるからである」(ミカ書6:2)。

ついで、
「わが民よ、わたし(主)はあなたに何をなしたか、何によってあなたを疲れさせたか、わたしに答えよ」
と言い、選民史を出エジプトから回想させ、主の示したわざに基づいて、
「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。
主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」
と訴えます。

こうして、「主を知る」こと(ホセア的力説)はーー「主と共に歩む」公義の実践によってーー「主の公義を知る」ことと一如でなければならないことを、ミカ書は力説してやみません。

ミカ書の冒頭には、
「打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。
彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真っ先に進まれる。」(ミカ書2:13)
という、「打破者の預言」とよばれているものがあります。

この言葉の中の「打破者」poresは、牢獄をうち破って囚人をそこから救い出す、という意味に用いられている語で、とくにユダヤ人には近接感を与えたようで、メシヤ(キリスト)に対する隠語「ペレツの子」ben-Feresa とよばれた源になっています。
「ポーレーツ」と、「ペレツ」とが同根であるために用いられたものです(創世記38:29、46:12など)。
ことに「ペレツ」が十二始祖中のユダの長子であったことから、この隠語的連想がもたれたものでしょう。



posted by 道川勇雄 at 15:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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