2019年07月21日

使徒行伝

使徒行伝


「復活の『主の霊』による教会時代」 


「聖書がなかったら教会はなかったであろう」と言われ、逆に「教会がなかったら聖書はなかったであろう」と言われます。


そのいずれをも否定できません。


聖書は全体的に見る時、イエス・キリストを聖人的な個人とは見ずに、あくまでも「教会キリスト」といえるほど、教会と不可分な者として告白しています。


それは、教会は「キリストのからだ」であり、キリストは「教会の首かしら」だからです。


しかし、そのような言い方は、教理的、神学的な表現であって、教会の歴史的解明が初めから、そのように割り切れていたのではありません。


そのことを念頭におきながら、今ここでの課題は、福音書の次に、そして、教会書簡の前に配置されている使徒行伝の意図を追跡することです。


使徒行伝をぬきにしたら、聖書のキリスト教会観は、明確にはなりませんでした。

使徒行伝は、二、三の学者によってすでに指摘されているように、使徒行伝をルカが書いたことが定説的事実であるのに、その名をはぶいているのは、福音書と書簡とを連関づける鍵が、使徒行伝にあることを正典編纂の意図として、それを反映しているからです。


世界的な聖書の体系学者である渡辺善太博士は、

「いうまでもなく、ヨハネ伝、エペソ、コロサイ書及び黙示録等によれば、教会は実に『世の創の前より、キリストの中に選ばれ』ていたのである。

然しそこに語られている教会は、いわば『原』教会である。

地上の具体的教会が創設されたのは、使徒行伝の告げる聖霊降臨の日である、というのが、新約聖書の一貫した教会起源観である。

他の福音書もおおよそその記述を、イエスの十字架と昇天で筆を止め、恰も申し合わせたかの如く、教会創設の言及を、使徒行伝にゆずっている。

かく教会は実に既存の何ものからも非連続に、「上から」、聖霊に由て新しく創設されたものであったとせられているのである。

然れば本書理解の鍵がこの点に見られる」(『渡辺善太全集』第3巻、412頁)

という解説をしています。

新約聖書の構造に目を開くでしょう。


使徒行伝の啓示史的画時代性に注目させられます。


使徒行伝をもって、時代は、「教会時代」に入るとみられるからです。


@復活主の霊による教会時代の突入(使徒行伝1-3章)


十字架の死と復活と昇天をもって閉じられた福音書は、申し合わせたようにーーほんの例外的な場合を別としてーーその記述をイエスの神の国宣教活動にとどめています。


とりわけルカによる福音書とヨハネによる福音書は、イエスの霊としてくだされる聖霊の降臨を待望するよう命じています。


そこにはすでに、教会時代と言わなくても、聖霊時代が予想されていた、という見方が示されています。


これは、イスラエルにとっては、全く考えられない事でした。

彼らの視野は、イエスの昇天にさいしてなお、「イスラエルの国の復興」に限られていたのだからです(使徒行伝1:6)。


【引用】

「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか。」(使徒行伝 1:6)


イエスに代わって弟子たちに与えられた聖霊は、使徒行伝によると、昇天後五十日目におこった「集団的公同的出来事」でした。


「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」

という記述であきらかなように、聖霊はこの時、「特定の個人」に与えられたのではなく、あくまでも「一同」に対し、「同時的」に起こった、前代未聞の、超自然的出来事でした(使徒行伝2:1以下)。


「神の霊が水のおもてをおおっていた」という、創造の記述をはじめとして、旧約聖書でも神の霊が預言者たちに下ったことは度々しるされています。


ただそれは、特定の個人に限られた上からの働きかけでした。


それに照らしてみる時、使徒行伝のしるす、この出来事は、画期的、革命的です。


そこに教会の出来事としての聖霊降臨の意図があるのです。


そしてこのことは、教会が、本来その起源を、「キリストにおける天的選び」にもつことに対応しています(エペソ1:3以下)。


個人ではなく、教会という集団全体が、キリストの故にのみ、「選ばれたもの」とよばれうるからです。


さらに、教会の創設が、聖霊の公同的降臨によるとみることは、教会が「上から」のものであることの確認です。


ヨハネによる福音書は、くどいくらい、イエスが、「上からの者」であることを反復力説していました。

そのイエスの霊である聖霊の降臨によって創設された教会もまた、「上から」のものであって、「下からのもの」ではないのです。


そこにすでに、教会が、新約聖書の後半で、「キリストのからだ」として言及される神学的根拠がみられます。


教会は、そのような「天的起源」をもつものでありながら、そのありのままで完全なのではありません。


教会は、キリストをその「首(かしら)」とする限りにおいて、見えない教会(として)の完全性をもちつつ、その「からだ」である見える教会は、不完全です。


「見える教会」(不完全)と「見えない教会」(完全)との逆説的統合として、「キリストのからだ」である教会を提示しているのが聖書です。


アナニヤとサッピラが、地所の代金の売り上げに関し、「聖霊を欺いた」罪をさばかれた記事を、初代教会の出来事の一つとしてあげていることも、教会が上からのものでありつつ、下からのものであるという逆説的性格を示唆するものです(使徒行伝5:1以下)。


教会が、天的起源をもつものであり、選民中心的世界観や歴史観の系列を超えるものとして明確化されることは、そのまま、選民優位的序列志向をくつがえすことに他なりません。


ヨエル書には、「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ」(ヨエル書2:28以下)と預言していましたが、いざそれが歴史的現実として具体化されることは、文字どおりの革命的な異変でした。


聖霊時代ともいうべき教会時代の始まりは「教会時代の楔形的突入」とも言われます。


教会の創設者であるキリストの霊とは、「復活したイエスの霊」であり、教会は、「復活の主の証人」です(使徒行伝1:8、1:22、2:32)。


しかし復活の主をさし示すことは、同時に、「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになった」出来事の証言ですから、それは「悔い改め」を条件とする証言でしかありません(使徒行伝2:36以下)。


使徒行伝3章の、「美しの門」でも、ペテロとヨハネの行った奇蹟に圧倒されている群衆に対し、彼らは、栄光の「イエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んで」、「人殺しの男をゆるすように要求し、いのちの君を殺してしまった」犯罪を悔い改めるよう迫っています(使徒行伝3章、特に3:13以下)。


悔い改めを迫ると同時に教会指導者らは、

「あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。

神はアブラハムに対して、

『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう。

(創世記12:1-3「神の『根源約束』」)

と仰せられた。

神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」

と、この突然変異的な教会時代の突入を、アブラハムへの「神の根源約束」の、歴史的成就として救拯史的に位置づけています(使徒行伝3:25以下)。


Aユダヤ・キリスト教会の拡張(使徒行伝4章ー19:31)


選民優位的序列志向をくつがえすキリスト教会の活動のめざましさが、ユダヤ教師らをいら立たせました(使徒行伝4:1以下)。



⑴選民優位的序列志向との激突(使徒行伝4-7章)


「復活主の証人」たちへの迫害は、あらゆる権威者からなる組織的なものでした(使徒行伝4:5)。


周囲をとりかこんだそれらの尋問者に対する弟子たちの確信と勇気は、反対に尋問者たちを驚かせました。


「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。

わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」(使徒行伝4:19、5:29等)

というペテロとヨハネの宣言は、そのまま、教会の証言の性格をいい尽くしています。


このような創設期にある教会のすさまじいばかりの不退転の証言は、

「こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった」(使徒行伝6:7)

としるされるまでに、ユダヤ・キリスト教会を急速な拡張に導いていったのです。


だが、つづく、殉教者第一号となったステパノの迫害の記事は、それを通して、教会がエルサレムから出て、広くユダヤとサマリヤや、アンテオケ地方に拡大されていく起爆力となったことを示しています(使徒行伝6:8以下、8:1以下、11:20以下)。


ここで思い出していただきたいのは、創世記で、エジプトの宰相となっていたヨセフの元に、ヤコブをはじめ一族を会わせるために、主が用いられた手段が「飢饉」だったことです。

ここでは、エルサレムに安住していた弟子たちを、主は、「迫害」という手段で、サマリア、アンテオケへと追いやったのです。


大迫害の発火点となったステパノの論説は、聖霊時代としての教会時代に立って振り返ってみた、選民史の再確認です。


ステパノの論説は、ステパノが、

「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉をはいて、どうしても、やめようとはしません」

という偽証に答えるものでした。


この偽証には、選民優位的思考に対してなされたキリストの証人たちからの挑戦への反発がふくめられていました。


それは、「神殿の絶対化」に対し、ステパノは、

「主が仰せられる、どんな家をわたし(主)のために建てるのか。

わたしのいこいの場所は、どれか。

天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

これは皆わたしの手が造ったものではないか」(イザヤ書66:1ー2)

という預言者イザヤの言葉を引用して、

「しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない」

(使徒行伝7:48以下)

といって、「神殿絶対化」を論駁しています。


そのような、選民優位的序列志向に立つ神殿固執が、聖霊を創設者とし、神と等しい子なる神イエスの霊の宿る「からだ」である、教会の否定に直結する時、それは、聖霊御自身への反逆以外の何ものでもないことを暴露します。


それがステパノの、

「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。

あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。

それは、あなたがたの先祖たちと同じである。

いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。

彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。

あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」(使徒行伝7:51以下)

という宣告で明らかです。


ステパノの論説の正しさの証明と、その「からだなる教会」の迫害との同時的共感のしるしであるかのように、神は栄光を現わし、「イエスが神の右に立っておられる」のを見たことがしるされています(使徒行伝7:54以下)。


主は、神の座に坐しておられるのが旧約聖書、新約聖書を通じてのことですが、このステパノラマの迫害に当たっては、「神の右に立って」と記されています。


このステパノ迫害の指嗾者(しそうしゃ、悪事をたくらむもの)の一人がサウロ、後のパウロでした。



⑵「教会キリスト」の顕現によるパウロの回心(使徒行伝8-9:31)


エルサレム教会のこの大迫害のため「使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」(使徒行伝8:1)が、サマリヤ地方の人々にも聖霊の賜物が与えられ、ピリポは、主の霊に導かれて、エチオピアの女王の高官にバプテスマを授けることになったのです(使徒行伝8:28-40)。


この部分で顕著なのは、後に異邦人への伝道者として召されるようになるサウロの回心の記事です。


それはサウロ(後のパウロ)が、教会を迫害しているさ中の出来事であり、

「道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした。

彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。

そこで彼は『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねた。

すると、答があった、

『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

さあ立って、町にはいって行きなさい。

そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』」

と言われたとしるされています(使徒行伝9:1以下)。


この記述中、注目したいのは、

「わたし(主)は、あなたが迫害しているイエスである」

という言葉です。


ここには「地上の教会」への迫害をそのまま「イエス御自身」への迫害とする「教会キリスト」(教会そのものであるキリスト)が明示されています。


ダマスコにいた信徒アナニヤには、このサウロを主が、

「異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたし(主)の名を伝える器としてわたし(主)が選んだ者」(使徒行伝9:15-16)

であることを示されました。


B異邦人伝道への方向転換(使徒行伝9:32-28章)



⑴ペテロの選民的偏見の暴露(使徒行伝9:32-2章)


復活の主の霊によって創設された教会の活動は、選民優位的序列志向との激突を触発しましたが、教会の指導者とて、選民優位的偏見から解放されるのは、容易なことではなかったのです。


ペテロも、幻を通して、

「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」(使徒行伝10:1以下)

ことを学ばねばならなかったのです。


しかも、その幻の真の意味を体認させられるためには、ペテロはカイザリアに、異邦人で百卒長であったコルネリオを訪ね、親しく交わる経験をもつことを命じられた、ということに、注目させられます。


その具体的な出会いを通して、初めて、ペテロは、

「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました」(使徒行伝10:34)

と告白することができたからです。


しかもペテロのこの時の説教を裏づけるように、「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった」(使徒行伝10:44)出来事が報告されています。


そのことで、

「割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた」(使徒行伝10:45)。



⑵選民の拒絶による対異邦人的転向(使徒行伝13章-22:29)


パウロとバルナバは、アンテオケ教会を拠点として各地に伝道しましたが、そのさい、彼らは、ユダヤ人の会堂のあるところでは、必ず、まずその会堂で神の言葉を宣教したということに注目させられます(使徒行伝9:20、13:5、17:2、17:10、17:17他)。


ところが、この二人がひきつけた群衆のおびただしさを見て、ねたましくおもったユダヤ人たちはパウロの宣教を口ぎたなくののしったのです。


それに対するパウロとバルナバの宣言が次のような、教会宣教の革命的転向を示唆するものとしてのべられています。


「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。

しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちは、これから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。主はわたしたちに、こう命じておられる、

『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。

あなたが地の果までも救をもたらすためである』」(使徒行伝13:46以下)

と。


この宣言をきいた異邦人たちは、

「よろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。

そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。

こうして主の御言はこの地方全体にひろまって行った」(使徒行伝13:48以下)。


異邦人への宣教が始められた時、まずもち上がったのが、「割礼問題」で、それはエルサレム会議の焦点でした。


それはパリサイ派からの入信者たちが、

「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」(使徒行伝15:5)

と主張したからです。


この争点をめぐり、主だった指導者の意見がのべられ、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、最後には、聖霊の導きの下に議決がなされたことが示されています。


それは、

「聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがた(異邦人)に負わせないことに決めたーー」(使徒行伝15:25以下)

という衆議一決としてのべられています。


次に福音がアジアからヨーロッパに伝えられるに至った、キリスト教会史の特筆すべき出来事について、注目すべきは、そのさいの聖霊の示唆はきわめて消極的であり、むしろ、人間の側の主体的判断にゆだねられた決定であったものとしてのべているということです(使徒行伝16:6-10)。


ところでパウロのアテネアレオパゴスの評議所で行ったという説教は、異邦人の無自覚的に自己暴露している無知を、切点として切り込んだ実例としてのべられています。


「知られない神に」と刻まれたアテネ人の祭壇を指摘してパウロが、

「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう」(使徒行伝17:24)

という呼びかけをもって始められた説教が、

「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17:28)

という、きわめて革命的な発想の転換を訴える言葉にまで盛り上げられています。


ギリシヤ的知識は本来理性的人間が主体となって何かを「問う」対象化的志向です。


それは神をも対象化せずにはやみません。

主客倒錯とはそのことです。

その方向では、「知られない神」が結論される他ないのです。

仏教の経典が六千万巻とも言われるほどに多いのも「知られないこと」の証拠ですし、古事記、日本書紀などを便宜的に経典と称する神道なども「知られない神」です。


「真の神、活ける神」とは、人が「問」う方向(主客倒錯)にではなく、「問う」人が「問われる」という逆転においてのみ「啓示」されます。


その時、人は初めて「問う我」が、実は神のうちに生き、動き、存在している在り方にめざめさせられるでしょう。


その伝道旅行を貫いて、ユダヤ人のパウロ攻撃は激化しましたが、その中にあって、

「わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけではなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」(使徒行伝21:13、20:22-23)

というパウロの姿が浮き彫りにされています。


パウロ一行の伝道が、まず第一にユダヤ人たちに向けられていたということの強調で想起されるのは、生前のイエスが初めて十二人の弟子を遣わすにあたり、

「異邦人の道に行くな。

またサマリヤ人の町にはいるな。

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行け。

ーーもしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。

ーーさばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう」(マタイ10:5以下)

と語られた言葉です。


福音が、ユダヤ人たちの決定的拒絶によって、世界万民の祝福としての福音の、本来の目的へ向かう方向指示を促されたということが、この項で力説されていたことが、明らかです。


⑶復活主の霊による対外的弁証(使徒行伝22:30ー38章)


異邦人伝道に召されたパウロには、彼の存命中の具体的目標がありました。


それはローマに行く、ということでした。


ローマは歴史的にその時点では世界制圧者として君臨しており、したがって、ローマに宣教することは世界宣教的拠点の確保を意味していたのです。


パウロのローマ行きが聖旨(みむね)にそうものであり、神の聖旨遂行の摂理であったことを示すため、使徒行伝は、

「しっかりせよ。

あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」(使徒行伝23:11)

という主の言葉がパウロに臨んだことをのべています。


この点はさらに、パウロが囚人としてイタリアに向かう途中、暴風のさ中にきかされた主の言葉として確認されています。


それは、

「パウロよ、恐れるな。

あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない」(使徒行伝27:24)

と言われた主からの激励の言葉です。


上から与えられる確信が、そのまま「安全保障」となるのではありません。


神の摂理が、独走的にはこばれることはありません。


神の摂理は、人の側の「信仰的賭け(冒険)」において「摂理する」のです。


ローマに到着するまでの極限的な障害の報道記事がそれを語って余りがあります。


その目的の実現のために、パウロは、すべてが彼の自力にかかっているかのように、あらゆる努力をし、あらゆるチャンスを利用したのです。


彼が「ローマ市民権」をフルに活用したこともその一例です(使徒行伝22:27以下)。


それとの関連で、「ローマ市民権」の活用の意味の洞察を示すものとして紹介したいのは、次の文章です。


「彼(パウロ)は、事の推移を眺めて、ここに、自分が、ながい間待っていた、ローマ行きの機会が到来した、と信ずることができたのである。

彼は、ここで自分が捕えられたことを、ローマ行きに利用することができる、と信じることができたのであろう。

彼は、自分が、ローマ市民である、という権利を利用しさえすれば、ローマに護送され、しかも、その結果は無罪になることを、確信していたのではなかろうか。

ーーカイザルに上訴されれば、ローマに護送しなければならない。

それは、当時の事情からいえば、容易ならないめんどうなことなのである。

できれば、ここで釈放してしまいたいのである。

しかるに、パウロは、どうしても、上訴する、といいはるのである。

彼には、当然その権利がある、だから拒むわけにはいかないのである。

こういうことが、ローマ官憲の気持ちであったのではなかろうか」(竹森満佐一著『使徒行伝講解』日本基督教団出版部、1965年、383ー384頁)。


パウロはカイザルに上訴したことにより、総督ペリクス、つづいて総督フェスト、アグリッパ王たち、官権の前で、福音を語ること、否、福音の対外的弁証の機会を与えられるにいたったのです(使徒行伝23ー26章)。


しかもその福音の対外的弁証の中心は、復活の主の証言であり、かつ、復活の主の証言を拒むユダヤ人の動機の矛盾の暴露におかれています(使徒行伝23:6以下、24:21ー26:8他)。


ユダヤ人からの偽証により、パウロはカイザルに上訴する道が開かれ、ついにローマへ護送され、福音を対外的に弁証する機会が与えられ、福音の世界宣教的拠点が確保されるにいたったことをのべるのが使徒行伝ですが、そのパウロを不退転的に立たしめていたものは、ダマスコ途上、パウロに出あった復活の主・「教会キリスト」であったことが、その記述を貫いて反復力説されていることに注目させられます。



posted by 道川勇雄 at 15:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


< ▲トップページへ戻る >
ツイッター始めました。お気軽にフォロー・コメントどうぞ。(Twitter)