2019年07月21日

コロサイ人への手紙

コロサイ人への手紙


「キリストの充全性を実証する肢体の自立」 


コロサイ人への手紙とエペソ人への手紙との共通性は否定しがたいものがあります。


故に、エペソ人への手紙と対比することが、コロサイ人への手紙の意図を示唆することになります。


エペソ人への手紙の強調は、「キリストのからだ」におかれているのに対して、コロサイ人への手紙の強調はむしろ「首なるキリスト」です。


さらに、エペソ人への手紙の「肢体的体認」に対して、コロサイ人への手紙は、「肢体的自立」を力説しています(コロサイ人への手紙1:22、1:23、1:24、1:28、1:29、2:4、2:7、2:8、2:19、4:4等)。


@首キリストの十字架における宇宙的和解(コロサイ人への手紙1:1-23)


エペソ人への手紙が「キリストにおける宇宙的帰一」を力説するのに対し(エペソ人への手紙1:10以下、3:6、4章)、コロサイ人への手紙は「キリストにおける宇宙的和解」(宇宙万物の再完成)という表現をえらんでいます(コロサイ人への手紙1:20、1:22)。


【引用】

(エペソから)

「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。

それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。」(エペソ人への手紙 1:10-14)


「それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束( 神の『根源約束』)にあずかる者となることである。」(エペソ人への手紙 3:6)



(エペソ3章引用省略)


(コロサイから)

「そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」(コロサイ人への手紙 1:20)



エペソ人への手紙も、キリストが「万物の上にある首」として教会の首であると言ってますが、「この教会はキリストのからだであって」と「からだ」の解明に移っています(エペソ人への手紙1:21以下)。


コロサイ人への手紙は、万物とキリストの関係を、より鮮明に「御子によって造られ、御子のために造られ」といって、万物の存在の根拠のみでなく、万物の存在の「目的」がキリストにあることを明示した上で、「そして自らは、そのからだなる教会の首である」といい、教会の首なるキリストこそ、十字架のキリストとして、万物の和解者として完璧な平和実現の原点であることを強調しています。


しかもキリスト者はその和解のわざにより、

「聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さった」

のだから、

「霊的な知恵と理解力」

とをもって神のみ旨を深く知ることが急務なのだと言いています。


力説点は、コロサイ人への手紙1:9の「そういうわけで」という表現をもって紹介されているといえます。


A首キリストの充全性の迫る肢体的自立(コロサイ人への手紙1:24-3:11)


この部分には、

「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている」(コロサイ人への手紙2:3)、

「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。

彼はすべての支配と権威とのかしらである」(コロサイ人への手紙2:9-10)

という言葉を通して、キリストの絶対充全性が指摘されています。


してみると、この部分の冒頭の、

「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」

という言葉は、どう受けとったらよいのでしょうか。


コロサイ人への手紙によると、万物の首なるキリストが、教会の首であるというような奥義は、教会時代までは知らされずに、保留されていました。


教会の創設者である聖霊によって、初めてそれは教会に開示されました。


この聖霊によって、この「奥義は、教会の肢体のうちに内在するキリスト」(コロサイ人への手紙1:27)となったのです。

しかも、肢体にキリストが内在するのは、肢体を自立させるためです。

「それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。

わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておれるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである」(コロサイ人への手紙1:28-29)

と言われているとおりです。


首キリストが十全であることに基づき、その肢体が「自立」すべきことこそ、教会の緊急の課題でなのです。


しかもその首キリストはあくまでも十字架のキリストですから、その肢体の自立は、十字架の主への「負債感の深さに比例」するような自立であるより他にありません。


それがパウロの前述の、

「キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」という告白です(ヨハネによる福音書14:12参照)。


【引用】(ヨハネによる福音書14:12)

「よくよくあなたがたに言っておく。

わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。

そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。

わたしが父のみもとに行くからである。」


教会の首キリストの十全性の実証としての肢体の自立とはまた、

「キリストにあって満たされている」

ことにより、空しいだましごとの哲学や、律法的規定やこの世のもろもろの霊力から解放されて、

「キリストなるかしらに、しっかり着き」、

「このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長」(コロサイ人への手紙2章)

することです。


それは同時に、

「キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいます」(コロサイ人への手紙3:11)

ことの確信によって、あらゆる人種差別や偏見から解放されることです。


このように肢体的自立を訴え、そのために苦闘するパウロ自身は、肉体的には、自由と自立を奪われた獄中の身であることに、改めて読者の注意を喚起させられます(コロサイ人への手紙1:24、4:3、4:10)。



B首に仕えるからだとしての有機的実践(コロサイ人への手紙3:12-4章)


からだは首によって支配されるべきであって、その逆であってはなりません。


すべての出発点は「首なるキリストから」ということこそ、キリストを首とする有機体としての教会の独自な在り方だということになります。


現実の一人一人には、平和より不安が支配しています。


しかし、「首なるキリストから」出発する方向性を徹底させるためには、現実(その無気力や不安)から出発するのでなく、逆に「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」と命じられます(コロサイ人への手紙3:15)。


また対人関係のいっさいも、「人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて主を恐れつつ、従う」こと、すなわち「主キリストに仕えている」肢体の自覚の徹底こそ、教会の肢体的自立の根本規定だと言います(コロサイ人への手紙3:18以下)。


最後の「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。

同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい」(コロサイ人への手紙4:2以下)という訴えも、肢体的自立は、キリストの奥義を明確に語りうるような自立であることに注目させられます。


なお、コロサイ人への手紙で注意をひくのは、「かたち」への固執です(コロサイ人への手紙1:15、2:9、3:10)。


エペソ人への手紙には、「かたち」ではなく、みたす「働き」の方が顕著です。


コロサイ人への手紙では「御子は、見えない神のかたち」であり、御子には「いっさいの神の徳が、かたちをとって宿って」います。


見えない神が受肉者キリストとして「かたち」をとった。

そして、教会の肢は、キリストに在って、「造り主のかたちに従って新しくされ」た者だという(コロサイ人への手紙3:10)。


つまり、御子が神のかたちをとりたもうたように、キリストを首とする教会は、見えない首キリストを見える形として自己形成する肢体的課題を担っています。


そこに着目する時、パウロの「キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」という意味も更に光を与えられるし、エペソ人への手紙の教会の「天的既決定」への注視と、コロサイ人への手紙の教会の「地的未決定」への注視と肢体的自立の力説が対照的により明確に位置づけられています。



posted by 道川勇雄 at 15:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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